当時は新卒入社から8年間、当時は3Kの代表的な建設業界でクタクタでした。
今思うと本当に先を見据えて仕事や学びの姿勢が出来ておらず
目先のことで精いっぱいといった感じで、本当に肉体も精神も疲れていたと思います。
28歳から準備して29歳の終わりに転職を決めた
27歳の時に多分ストレスと肉体的疲労、睡眠不足が原因だと思いますが
仕事を半年間休んだ大きな病衣気にかかりました。
短い間ですが初めての入院も経験しました。
20代後半でヤンチャ大好きで、同じ病棟の20~40歳ぐらいの男友達が出来ましたが
半分は退院できませんでした。
その時に、退院してもこのままの生活を送っていると自分が本当に幸せになれるのかって。
(この時に、本当の幸せって知らないはずですが。今も本当に解っているのか???)
環境を変えることに挑戦することにしました。
初めての転職活動に挑戦
まずは、環境を変えることを考えました。
どうせ転職するなら、長く働ける環境を探すことにしました。
当時就職していた会社は、曲りなりにも一部上場企業で本社採用、昇進も同期では早いほう
国内企業としてはそこそこ貰っていました。
多くの先輩方は新卒~定年まで、そして企業年金貰って安定って感じです。
管理職になれば会社と取引先のお金で毎週ゴルフ。(愚痴になってしまいますね)
この状況よりもいい世界を目指すことにしました。
当時の私は、社内では評価はあったが、履歴書を書いてみて社会での価値が見えない。
なんだか、安っぽく見えるなって感じます。
最初に自分を高く評価してもらうことを考えた
ここで見えてきたのは、資格欄に「普通自動車運転免許」しか書けない。
学歴を見てもパッとしないし、職歴を見ても会社名は知ってるが会社の犬って感じ。
そこで、まずは資格欄を埋めてみよう。
まだ、この時はベットの中だったので外出許可をもらって国家資格のテキストを3種類買った。
入院生活は意外と暇で、3食美味くもないご飯が自動的に時間通り来て
昼間は寝たくても夜就寝時間が早いので寝られず、隠居生活ってこんな感じで獄中だなって。
この昼間の時間を利用して、3種類の資格を勉強した。
この時良かったのは、1つの勉強ではなく学校のように複数の違う勉強をすることで
気晴らしと集中できた。
その結果、資格欄に3つの国家資格が追加出来た。
これにより、履歴書がなんだか今の会社が大きすぎて自分の能力を出せないんだと言ってるようです。
6か月のブランク
さすがに仕事を6か月休むと有給休暇はすっからかん、傷病休暇も使って、最終的には休業。
ただし、健康保険組合からの給付や高額医療補助、生命保険の給付で
お金も使えないので貯金は増えた。
でも、仕事をしていないので源泉徴収の給与所得が半減した。
これをそのまま転職手続きで出すと本来の金額よりも少なく見えて足元を見られる。
職場復帰後は休日出勤、残業など手当で翌年の源泉徴収の給与所得を多く見せた。
ここまで、今できる自分を大きく見せる事をやったので転職先を決めようと動き始めた。
転職の仕方って?
90年代前半で新卒入社したときは、少年ジャンプの厚さぐらいの就職本を無料でもらって
資料請求のはがきを送って、履歴書を書いて成績証明書など付けて企業に送って書類選考。
ほとんどの人が面接に進み、複数の会社から内定をもらって就職先を決めた。
バブルは弾けていました。
すでに2000年ごろはインターネットが出来ていたが、常時接続ではなくISDN回線で接続。
夜11からのテレホーダイのプランでつなぐぐらい。
当時は今ほど多くはないが転職あっせん会社があったので、表示された会社の多くに登録。
自分を理解して高く紹介してくれる会社を待った。
1か月ぐらいで複数社の紹介があり、出来る限り面接を受けた。
電子メールとiモードメールで連絡を受けて仕事の時間外や休みに行ったものだ。
最初は国内の同業や機械系、銀行系の会社などが多かった。
時間は少し経ったときに当時地方に住んでいた私に、東京まで面接に来てほしいと。
もちろん交通費などは負担してくれるとの事で、もちろん行った。
そこが、ヨーロッパに本社がある結構日本でも有名なメーカーでした。
お上りさんで田舎もんが外資系会社に踏み入れた
実は、東京ってネズミの楽園(千葉ですが)に行ったぐらいで、まともに行ったことはなかった。
地方では東京に行くやつなんてって感じで好まれないのですが、正直わくわく。
もちろん面接なのできちっとした格好で空港までは自家用車で、空港の駐車場に止めて
羽田空港に向けて出発、着陸後都内の会社まで電車で行きましたが、なんだか東京ってあこがれる。
会社に着いて面接ではいろいろと会社のビジョンや私に対する期待と処遇、
ミッションなどが示されました。
国内の会社の面接では、ざっくりとした仕事内容と私の人となりの確認でしたが
入社後の仕事が会社や社会にどのように貢献するべきかを示してくれたのが新鮮でした。
数日してオファーレターが届きましたが、条件など8枚程度のレターでした。
給与については当時貰っていた2割増しで、それ以外にインセンティブも示されやる気が出ました。
外資系はやるべきことがシステマチックに示されるだけではなく、条件も明瞭で
逆に成績をあげれなく期待に達していなければその時の処遇もオファーレターに書かれておりました。
シビアな分やりがいを感じて、私は30歳で外資系の道に足を踏み入れました。
外資系は年収アップ可能か?可能です。
なぜ可能か?
もともと人件費を多く払うような文化があり、それにより雇用を囲うこともあります。
また、外資系はニッチなポジションは人数が少なく、専門性が期待される。
少数精鋭の組織が多く一人の給与に使える額が大きい分、仕事の期待も高くなる。
こんな事で年収アップは可能ですが、自分を見せられるものが必要です。
われわれ日本人の性質で、耐えることを知っているので、
この部分だけでもアピールできたら良いですね。
日本の企業ではなかなかないですが、使用期間終了で離職させられる方も一定数います。
厳しいからもらえるって考えるのがいいと思います。
今も違う会社の外資系に居ますが、国内の会社しか経験のない方は
出来たら一度外資系の面談を経験してみるといいでしょう。
自分の価値を試すだけでも価値がありますし、将来を考えるきっかけになります。
通っても合わなければ断ればいいので。
(懐かしい思い出話でした)



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